伝統文化と動物の関わり


藤崎八旛宮秋季例大祭

私は何でもかんでも虐待という言葉ばかりに強い反感、過剰な反応を示すつもりはありません。
しかし、他国の伝統などのことにも意見や署名をさせていただいてきた経験から、自身の日本でもこのような事があることについては冷静に考えていかなければいけない気がして、見逃してしまうのはいかがかものかと感じました。




祭りで人間が興奮しているのは伝わります、それ故に興奮に任せた過剰な馬への扱いが感じられました。



伝統や文化も大切にする心

私は土地に伝わる伝統や文化に対して反対をするつもりはなく、伝統文化を重んじる心とともに馬にたいする敬意を表すことはあっても、虐待にあたる行為があってはならないと思うだけ。

動物は祭りに使う道具や物ではありません。どうしても必要であるならば、動物の扱いに配慮をお願いしたいと思うのは過剰な反応ではなく、当然のことだと思います。時を繋ぐように祭りの根底にある意識も大切に伝え育んでいってほしい。

粗末な扱いや野蛮な暴力が含まれる伝統は改善、若しくは廃止を求めていくべきのも新たな伝統のカタチです。個人的には動物の利用の廃止を求めます。

馬が嫌がる姿を見て不快な気持ちをする人たちがいる以上は考えてほしい。サーカスに反対する気持ちと同じです。伝統、文化、神事、祭事、といったカンムリのついたものは別、異例なんて、そんな都合のいい言葉はありません。



動物愛護法の違反

動物の虐待事件が多発している今、神聖な祭事を理由にしても動物を叩いたり、ストレスを与えたりしてもよいのだということを幼い子供たちもいる公衆の面前で印象づけてしまうのは危険です。

このように動物が傷みを感じ苦しむことが前提となった行事を娯楽や伝統や祭事として人々に見せ楽しむべきではないんじゃないかと感じています。



地元の方々には、このような反応が批判として受け捉えられないでほしいと願っています。そしてまた熊本の方々や祭りに参加される方々を批判されるようなこともなされないでほしいんです。悪意があるわけではありません。

その土地での祭は幼いころから懐かしい記憶と自分たちの成長とともに親しみ楽しんでいくものですから、大切に思う気持ちにも理解と寄り添う思いやりは馬への思いやりと同じように考えてもほしいです。

動物愛護が過剰だとかキチガイのような誤解を受けるようなこともないように、地元の皆さんを傷つけることもないように、私たちが無駄に傷つけあって言い争うようなことだけは避けたいと願っています。

改善を求める場へ、届けるところに適切に声を届けましょう。

チカぷの一日一楽

BLOG story,1 - 共生を考える はじめます。犬と生きる素晴らしい暮らしのために、私たち飼い主とは何か、求められているものを思い、考え、伝えて、皆さんと考えあっていきたい。 動物愛護の最後の砦は「飼い主」であるべきです。 Spell my thoughts Lovely days CHIKA'S MIND TRIP

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