「保護」の在り方…… ①

この猫ちゃんは、この世にはいないそうです。

持ち込みされたの?!
捨てられたの?
虐待されたの?!

保護して貰えるチャンス
あったけれど、
故意に手を離されました。

言うならば、こんな感じだと思いました。


Facebookをされてない方のために見えるように上記の投稿内容を以下にコピペします。

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昨夜9時過ぎ、自宅前に猫を遺棄されましたぁ

犯罪行為に支援の手を差し出すことはできかねます。

会社を立ち上げるときに有識者と決めたルールに従い、警察署に届けでました。

子猫には罪がないけれど、無責任な人の行為により適正に処分されることになりました。

愛玩動物の保護育成を行い、保護動物とふれあい 譲渡受を実施していますが 違法行為や遺棄動物の保護育成はおこなっていません。

責任の範囲内で動物育成をするのが飼い主のマナーでルールですよね。

他人任せ責任転嫁は動物だけではなく、人も傷めます。

これからも毅然と適切に対応していきます。

遺棄動物の保護育成はおこなっていないので、絶対にしないでください。

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と……いうものです。

実在するお店です。なので、ご利用さてるお客様、お店のスタッフ皆様の配慮も考えましたが、この内容です。
保護についての私のもつ理解から外れていたので何度も読んだり、他の投稿を読んだり、利用されてる皆様のコメントを読んだりしながら考えてみました。

ですが、やはり投稿いたします。

いつもブログを読んでくださり、一緒に考えて下さる皆様に、先ずは私が思ったことを話し聞いてほしいという思いとともに、私の想い、考えは1つにすぎません。なので間違いもあれば、足りなさもあると思いますので、これを読んで皆様の感じた氣持ち、思いを教えてほしいし、出来るなら一緒に考えてもらいたいなぁと思いました。

よろしくお願いします。


里親募集、保護活動、保護ボランティア、保護カフェなど、どの地域にも、今や私たちの暮らしの近くに存在してると思うんです。動物は好きだけど、ペットを飼えない環境や生活だから、こうした施設の利用をされてる方もおられると思います。

例えば、その様々な立場からだけでも多くのことが考えられるのではないでしょうか。

この事を知って、私も地域の猫の保護カフェさんに行って、このお話をして、お店側のお話や感じることを聞いてみたいとも思いました。

前置きが長くなりましたが(笑)
本題に入ってみます!

ここのお店と活動について……
実は他にも気になるところがあります。ほかでは、そちらが注目されています。

そちらを先に書こうと思ってましたが、これが事がことだけに「事」だけに焦点が集まるのはと思って、先にこちらを根本となる部分を軸として、保護について、保護カフェ、保護活動について考えてみようと思って、こちらの投稿について書くことにしました。


この猫の投稿
率直にどう思いましたか?

感情的になるのは横に置いといても
考えてみると、深いんですよね。


だけど、
私の意見としては、こうなんです。

いち個人としての対応や活動などに詳しくない一般のかたなら、この対応も正解というか、最善のひとつ。と、思うんです。


きちんと『動物の遺棄』の犯罪として、愛護法の違反として、警察に通報の声を届け出て、遺棄事件の解決への犯罪捜査をお願いするわけだからです。

これは、『動物の遺棄』、要するに捨てる行為の判断が難しい事がひとつにあります。今回のように完全なる遺棄と判断できない場合も多く、迷子なのか…遺棄なのか…見つけたひとも適切な行動がとれず、動物の遺棄は犯罪となっている罪さえも警察への届け出がなされず、有耶無耶となりがちな状況は少なくないと思います。

しかしです!

犯人を見つけるために通報し、地域の皆様による目撃情報や事件の捜査を警察にお願いしても、目の前には生きてる命があるわけですからね、

もっと言えば、自宅で保護できるならば手元に置いて飼養しながら、殺処分にされないように警察や動物愛護センターに話して相談をしたりして、行政の方での「飼い主募集」への投稿の力も借りながらも、自分でもブログやSNSなどを駆使したり、動物病院への張り紙をお願いしたりなど出来る限りの「里親募集」を声かけしたりできますよね。不幸にも遺棄された命を幸せに繋ぐためにできる事を模索するものではないでしょうか。。


しかし、この人は違うの。
詳しい知識のない一般の方でもない、保護活動をされてる、資格を持ち保護カフェを仕事にして営まれてるかたです。

一般の方々が「捨てられてた!」と犯罪として通報して警察に届けるのとワケが違うんです。自分が手を離せばどうなるのか、殺処分のことが分かっていて、自らが持ち込んでるわけです。


◻️子猫には罪がないけれど、無責任な人の行為により適正に処分されることになりました。(Facebookより)


処分されることになりましたと書いてるのです。無責任というならば、この方もまた無責任であると思えたのです。

罪と犠牲となる生死は別物です。

無責任な飼い主の罪や、ズルイ犯罪を憎んでいますし、そのような行為をする人を許さない気持ちは私も同じです。

しかし、罪や犯罪と命の生死については、これとそれは別。通報し届け出して捜査をお願いしたならば、目の前の猫たちは無事に生きてるのだから、保護し生かすことに最善の努力をすべきではないのでしょうか。それができる人でもあるのではないでしょうか。

なぜ、こんな事も分からないかたが、保護活動、保護動物の飼養、育成に携わっているのか……甚だしき事態です。💢


手を離して命を奪うこととなる猫たちの写真を撮影し、このような記事にまでして投稿されています。

観てる方も、これでは為すすべもなくどれだけ辛いでしょう。。。

保護活動として保護カフェを経営し、地域の皆様へ動物を取り巻く境遇についての実状を伝える役割を担ってるならば、弱い立場にある動物を護り、不幸な動物にほど心を傷め、決して命を選んだり「処分」なんて言葉使って投稿したらあかんだろ!って思うわけです。動物を愛する人が、このような活動されてる方が「愛玩動物」とした言葉を選ばれるなんて……。
衝撃をくらいました。



◻️犯罪行為に支援の手を差し出すことはできかねます。(Facebookより)


保護し育て里親募集することが、犯罪の支援になるのですか?
そう感じる皆様はいますか?

罪や犯罪は憎んでもです、その犠牲となってる動物を見捨てることが正解なのですか?

これでは、2度捨てられることになるのではないでしょうか。あまりに不憫ですし、矛盾してはいないでしょうか。



◻️保護育成を行い、保護動物とふれあい譲渡受を実施していますが 違法行為や遺棄動物の保護育成はおこなっていません。(Facebookより)


動物の命を差別化するような心が見えるような文面です。とても嫌な違和感を感じました。

誰が悪いのか…当然、遺棄した犯人となる飼い主です。

しかし、この方は遺棄された犠牲となってる弱い動物に対して、このような対応を示すのはどうなのでしょうか。

どういう理屈なのでしょうか。
腹が立っている!気分わるい!そんな感情なだけではないのでしょうか。

このかたの言ってることを噛み砕くと、こうなると思います。

養子縁組はします!しかし、家の前に置いて行かれても私は捨てます!育てません!だからやめて下さい。ということではないでしょうか。。。

正直、こうして様々な見方で何度考えてもとても極端で、ご自身の気分の関係した都合のよい活動にしか感じられませんでした。


◻️他人任せ責任転嫁は動物だけではなく、人も傷めます。これからも毅然と適切に対応していきます。遺棄動物の保護育成はおこなっていないので、絶対にしないでください。(Facebookより)


啓発は、地域、私自身、私の身の回りに対しての責任として、とても大事にしているところの1つです。

動物を守り、責任を持つべきは、その所有者となる買い主であり、飼い主となる私たちだと思ってるからです。

例えば殺処分も、地域猫も、動物の問題やトラブルは、地域でも行政でもない、私たち飼い主のトラブルであり、問題だと思っています。

動物は湧いてるわけではないのです。私たちが求めた存在そのものなのですから。

今日もこのブログを書くに至り、感情的にだけはならぬようにと何度も読み何度も考えましたので、この行為や、文面だけでなく、想像して、その言葉の背景も考えてみました。

そんななかに、別の見方も1つありました。

私の実家はお寺で、昔は動物を捨てられたり、置き去りも少なくなかったです。昔ですよ!昔。今は捨て犬や迷子犬も出会わない、地域の野良猫の声さえも聞こえないくらいの地域です。

だから、保護する事にも限界もあり、キリがない!って、そんな気持ちは少しなりし分かります。

だから、過激かもしれませんが、動物の遺棄に対しての「啓発、警鐘」のひとつとして、その予防や対策として、

> 置き去りにしても助けない!
> 持ち込みして殺しますよ!
> 他人に迷惑かけるや!無責任なことをするな!

……みたいな警告の一つかもしれないとも思いました。


けれどーーーーー 

命を護ることでなく、命を盾にしてはいけないですよね。

防犯カメラつけなよ(笑)って、思っちゃいました。

「防犯カメラが犯罪の瞬間が映ってました、動画を警察に持ち込みました。」なら、どうでしょうか。こちらの方が捜査の証拠にもあり、安易な犯罪ができない環境、地域にすることにもなる対応なのではないでしょうか。

個人一般の方のお宅ではなく、お店だし、活動としてされてるなら尚更です。

他にやれることは考えればいくらでもある、それ以前に何があっても《命を差別したり、盾にしたらダメ》という思いに至りました。



我が家も私が子供の頃は、どんだけ捨て犬に会うんだ!?と言われるくらい拾ってきてしまう私がいましたし、小学校に来なくなった犬を探して保健所の檻にいると家族にお願いして、貰いに行って家族に迎えてくれてきました。

「犬が好きでも家でもない場所で勝手に食べ物を与えたら、知らない人の迷惑になるかもしれないからダメよ。」
「隠して持って帰ったらダメだよ。」
「嘘だけはついたらダメだよ。」
と、口うるさく言われてきたので、そんな犬たちに会うと、飼ってほしい。話してたら着いてきちゃった。と連れ帰っていましたが、捨ててこい!と言われた事はなかったです。

あまりに素直に実行する私には、家族も呆れて笑って、それでも悪いことをしてるわけではない私の心のままに動く行為を大事に育てるように精一杯に応えてくれたのだと思います。

この辺りも今みたいに捨て犬がいない良い環境ではなく、今ではあまり見かけない番犬使いのような外飼いの犬も多くいて、この辺りでも捨て犬や野良犬がいたり、一般的な飼い主のモラルとマナーも良くなかったと思いますし、望まない場合の繁殖を危惧した不妊去勢の措置も一般的でもなかったので、野良犬からの繁殖による子犬だろう良く似た犬たちもいました。

そんな子犬たちが門に置き去りにされたり、話しかけた私の後ろをついて家にきたり、塾から帰ると家に犬が待っていたり(笑)そうした出会いから我が家の家族になった子たちが沢山いて、賑やかでした。

しかし、いくら楽しくても動物が大好きでも、暮らしには限界があるのに、出会いはキリがないのですよね。

近隣で犬を飼ってくれそうな人たちに声をかけて遊びに来てもらったり、学校でも声をかけてみたり、信者さんたちのなかでも飼ってくれた方々がいました。

大切にします!って皆様の家に引き取り貰ってくださる場合もありました。祖父や母と貰われた家にも何度も会いにいったりもしました。

よく覚えています。
子供ながらに、とても大きくなってて嬉しかった気持ちの記憶が大きくあります。

何より、拾った時とは違うキラキラした表情を魅せ、愛嬌を見せたり、ふざけて見せたり、元気よく飛び回り、素敵な名前で呼ばれて、とても可愛がられている事が嬉しくって、良かったなぁと思ったものでした。

それだけなのに、飼い主さんになってくれたおばさん達は、
「あわせてくれてありがとう!」
「拾ってくれてありがとう!」
「ありがとう!」
と言ってくれました。

なぜか、照れ臭くて、でも嬉しくて、今はその気持ちも言葉にできます。
「大切にしてくれて、大きく育ててくれてありがとう」なのです。

そうした経験が動物大好きな今へと繋がるわけですが、こんな程度にしかない私にさえも思う事があります。

この人のされてる事は、優しさでもない、保護活動なんかじゃないと感じたことです。

不幸な命を利用して仕事にしてるだけ。自分の考え、自身の都合にあわない動物は保護はしないなんて、、
おかしいじゃないですか。

1匹でも多く、1匹でもと、人間の都合で不幸を強いられ、生死を左右される生き方しか得られない動物たち、人間の罪や過ちを動物に押し付けるような殺処分にさせないためにと、愛を示し精一杯に保護し、新たな縁に繋ぐために努力されているのに、、、

処分されることを理解して持ち込むなんてあり得ないじゃないですか。

活動も様々、愛も様々であるのは承知していますし、失礼だとわかってて言うけれど、どこにも愛を感じませんでした。

もっと私たちは、動物に関わる境遇や犯罪について、厳しく向き合う姿勢と術を持たなきゃならないでしょう。

そして、このような保護を活動される資格者についても、その存在と活動の在り方ひとつひとつにも関心を向けて、世の中が考えていかなければならないのではならないでしょうか。。



◻️責任の範囲内で動物育成をするのが飼い主のマナーでルールですよね。(Facebookより)


これは、わたしも同じ思いです。
動物は所有者の明示が義務づけられてるように飼い主次第なのです。

だから、飼い主である私たちは、必要な知識や飼い主としての意識を向上させなきゃと本気で思っています。

殺処分反対!殺処分するな!って言う人がいますけど、何を誰に言ってるのだろう。

県、市、行政や職員さんを批判したり、殺すな!なんて乱暴に電話して業務を邪魔したり、それで救える?
何の問題解決にもならない。

保健所が悪いわけでもなく、行政でも職員さんでもありません。そして譲渡だけでも無くなりません。

> 殺処分はどうしてなるの?
> 殺処分ゼロの為には??

殺処分ゼロ!殺処分反対!なんて声をあげるよりも、1人1人の意識向上、しつこく啓発しあう事のが必要じゃないですか。

殺処分される多くの犬や猫たちには、皆様や私のような飼い主がいるのだから。私たち飼い主は、殺処分をゼロにできる人たちです。


犬や猫などのペットを飼う際に定められ推奨され、地域の条例にされている法や義務などのルールさえ守ってくれたら「殺処分」が、どれだけ減るか考えてほしいです。

持ち込まない、捨てない、迷子にしない、不幸を防げる事を、私たち飼い主が一番に守らねばならない事を知ってほしいです。

ペットの問題は飼い主から。
身勝手な行為、無責任な飼い主による問題が増えてます。

本来もつべき飼い主としての意識の向上を目指し、良い飼い主になるための知識を学び、犬や猫たちと暮らすよい環境を作りましょうよ。

「飼い主の私たちが守ればゼロにできる」意識から変えていきたいなぁという思いです。

しかし、、もとに戻しますが
それだけはないのです。
このかたの場合、その先、その一歩先の活動をとされてる方なのだから、、

これではダメでしょう
と思うんです。。

最初に書いたように実在するお店ですので、ご利用さてるお客様、お店のスタッフ皆様のことも考えましたが、以上の理由から、あえてこのような投稿させていただきました。



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🔘 動物の遺棄の禁止について

誰かが何処かで捨てられた犬と出会った時、その対応に迷わずに何ができるか、何が必要となるか、その適切な行動ができれば、、と思って以前に書いたものです。

🔘「命のつなぎ方」という授業科目を取り入れ犬猫を保護する高校「立花高校」 

「できないことを嘆くより、できていることを認め合う」を学校の大切な考え方としている福岡県の学校です。 

犬や猫を適切な環境で一緒に暮らしていくためには、先ずは大きな問題となる「人間」が心を育む取り組み、大事だと感じています。

将来にシワ寄せがいくのではなく、未来を築く若い世代が心を育て成長してくことで未来が頼もしくなる。
例えば人間の都合で捨てたり持ち込んだりする親や友達や周りに対して注意できたり話し合えたりできる環境や関係者が生まれてくのね。ただ、希望が見える反面、今が恥ずかしい。。

適切な環境って一体なんだろう。
適正飼養って、どういうことなんだろう。

今更 聞けない?
調べてみてもいいじゃないかな。
子供のころ
わからないことは聞く。
辞書で調べる。と言われたものは、いくつになっても基本にあるのだと感じています。

感情は魅力的で素敵なもの。
でも正しい感情を育てることも大切だと最近はよく思うことです。

関心をもって、関心の先をトコトン知ることから始めなきゃ、
飼えないよ…命はねっ。

Lovely days CHIKA'S MIND TRIP

チカぷの一日一楽

BLOG story,1 - 共生を考える はじめます。犬と生きる素晴らしい暮らしのために、私たち飼い主とは何か、求められているものを思い、考え、伝えて、皆さんと考えあっていきたい。 動物愛護の最後の砦は「飼い主」であるべきです。 Spell my thoughts Lovely days CHIKA'S MIND TRIP

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